日本の思想
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日本の思想における基軸は何処に存在するのだろうか?本居宣長が言うようにそもそも日本は自然であり、大きな基軸を持っていなかった。そこからあらゆる責任の無責任体系や様々な問題が生じてくる。大事なのは国家を形成するために神道、仏教、儒教、蘭学そしてマルクス主義という体系理論までも作為し国家を制御するために表面的に利用された。つまり日本の思想はには外国のような思想に基軸が無く、外来思想を然程抵抗無くすんなり受け入れてきた精神的雑居性文化であると同時に無責任制であると丸山は主張する。
日本の思想を遡ってみて考えると、自分が専攻している文学の発祥と効用や何と関連しているのか、ある程度把握することができる。科学と政治を別々に考えることはあまり有意義な見直し方とは言い難く、むしろ文芸と政治は表裏一体であった方が有意義で自然な見直し方だと考えられる。そもそも日本が近代化を遂げるために利用されたのは文学であり、新体詩抄や小説神髄を通じて言文一致体が提唱され近代国家を形成するための起爆剤となった。他にもイタリアファシズムであったり世界でも文芸が政治と密着している場合が多々みうけられた。つまり文芸=政治と考えるといささか納得がいくのではないだろうか。
このような視点から今まで自分が触れて来た文芸作品をもう一度再考し、さらに歴史が終焉した現代では文芸作品はどのような位置づけられているのか、またどのような作品を提示していくべきなのか考察していきたい。
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運動をしなくなって何年経つんだろうか?
浪人3年と大学1年全く運動していないから今年で5年目かな。
筋肉も落ちてかなり肉体的に脆弱になった。メンタル面でも体育会系からいまや文化系のメンタルにシフトしつつある。これが良いことか悪いことかは別にして、何が大きく変わったかというと筋力が落ちてから食欲も減ったしなにより疲労が溜まりやすくなった。
以前まではどんなに疲れていても食って寝ていたら回復していたのだけど、どうも最近は体がメンタル面について行かずすぐに疲れてしまう。
たかだか学校行っただけで疲労困憊で朽ち果てそうになるし(笑)よく薬中と間違えられるしね。
疲れにくい体を作ってもっともっと遊ばなくっちゃ。
まずは食生活から変える。具体的には
筋肉、骨、内蔵、エネルギー代謝に関わる酵素やホルモンの材料となる良質なタンパク質(青魚、白身魚、卵、牛乳、納豆)を中心に摂取する。この摂取を助けるためにビタミンB1、ビタミンC、ビタミンEをサプリメントとして使う。
あと主食はエネルギーが長持ちする玄米、そば、パスタ、ライ麦パンにしよう。
あと適度な運動かな。一日10分散歩でもいいし。
アルコールとタバコは控えることもベストらしいが、まあタバコはたまに吸うくらいで控えれても酒は無理でしょ。
まあここから始めよう。
今や体が資本ですから。
浪人3年と大学1年全く運動していないから今年で5年目かな。
筋肉も落ちてかなり肉体的に脆弱になった。メンタル面でも体育会系からいまや文化系のメンタルにシフトしつつある。これが良いことか悪いことかは別にして、何が大きく変わったかというと筋力が落ちてから食欲も減ったしなにより疲労が溜まりやすくなった。
以前まではどんなに疲れていても食って寝ていたら回復していたのだけど、どうも最近は体がメンタル面について行かずすぐに疲れてしまう。
たかだか学校行っただけで疲労困憊で朽ち果てそうになるし(笑)よく薬中と間違えられるしね。
疲れにくい体を作ってもっともっと遊ばなくっちゃ。
まずは食生活から変える。具体的には
筋肉、骨、内蔵、エネルギー代謝に関わる酵素やホルモンの材料となる良質なタンパク質(青魚、白身魚、卵、牛乳、納豆)を中心に摂取する。この摂取を助けるためにビタミンB1、ビタミンC、ビタミンEをサプリメントとして使う。
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あと主食はエネルギーが長持ちする玄米、そば、パスタ、ライ麦パンにしよう。
あと適度な運動かな。一日10分散歩でもいいし。
アルコールとタバコは控えることもベストらしいが、まあタバコはたまに吸うくらいで控えれても酒は無理でしょ。
まあここから始めよう。
今や体が資本ですから。
グラントリノ 重力ピエロ
今日の日記はかなりめんどくさいことをつらつら書きました。受取手によっては中傷めいて毒々しい内容になっているのであまり観ることをお勧めしません!
もうこの時点でちょっとめんどくさいでしょ?(笑)
先日映画を観てきました。グラントリノと重力ピエロ。チケットを買う際にそんな長くないのだけど列ができていて前に二人組の女の子が並んでいた。何観んのかなって。人の観る映画が気になって気になってしかたなくて、さり気なくちゃっかり予想して遊んでいた。
「余命一ヶ月の花嫁のチケット2枚下さい。」
ああやっぱり。見た感じそういうの好きそうだもの。
この発言はやばいな。すいません。
シクロフスキーっていうロシアの思想家がいて、もう死んでるけど、オストラネーニエつまり異化を唱えていた。芸術作品の手法はより難解にし、視覚困難にし、引き延ばし、、、、、つらつらつら。。つまり作品の形式を難解にして観客に批評性を持たせることが近代芸術の起源でもあった。はずなのに、最近は易化傾向にある作品ばかりが周りを覆い尽くしている。
時代は戻ったのかな?退化した?
例の命一ヶ月の花嫁
セカチュウや韓流恋愛映画の焼き直しで超紋切り型、パターン映画でしょう。人気男優・女優を起用してカップル、夫婦が苦労さえあれど幸せの絶頂に到達してそこから、事故や病気や失踪などの苦難を使って下に叩き落とす。そして最後にはなにかしらハッピーになって、ああよかったねえって。
破壊と再生。この破壊から再生に向かう過程に人間は非常に涙脆い。主に自分と重ねてみているからだろう。まあ本質的には作品と自分は全く関係ないのだけどね。最近小説にしてもこの手のパターンが非常に多い。いわゆるなんかブームなんだろう。なんでこの手の映画が繰り返し作られるかといったら、やっぱり金になるんだろうね。
人間が泣いてしまうようなパターン、そんなのあるの?あまりに馬鹿にされているようで信じたくないのでけど、これだけ興行収入は良いし、、、、本当にあるみたいです。事実この手の映画観て号泣したことあるし。困ったものです。
ある意味これをやっておけば、まあ頭の痛い子や大衆には受けるでしょう、という作り手側の手抜き感や悪意を感じるし、そこに批評性を持たせなかったらある意味国民全体をお馬鹿にして、芸術的な感性を略奪する装置にもなりえない。
資本の暴走はここにまで波及していると言わざる得ない。この手の映画が出る度、(JPOPにもやや通ずる点があるが)悲観的な見解を持ってしまうものです。
あの前にいた女の子達は被害者なのかもしれない。まあ僕もその汚染から逃れている保証は一切ないのだけどね(笑)
まだ読んでますか?有り難いものです。
今度は自分で高い金払って観て来たクリント・イーストウッドのグラントリノと伊坂幸太郎原作の重力ピエロについて。
たまたまなのだろうけど、テーマが被っていた。まじで。いや同じ時代を共有しているから現実感覚が近くなるのも当然なのだろう。たまたまではないか。
ずばりテーマは「疎外」 「孤独」 「暴力」 「セックス」 「死」「擬似家族」こんなところでした。映画観てるとポストモダンに凄くリアリティーが帯びてくる。
物語の質感というか重みをだすためにはこの要素を入れていくしか仕方がない。いかに同じ要素から世界を構築できるかが映画の善し悪しを決める一つの要因となる。
内容は書くのは面倒いので。まあ結果からいうとで同じテーマを取り上げているのだけれど100対1でグラントリノの大勝ちだったかな。両方ともよくありそうな映画なのだけど、イーストウッドのごくごく自然な形でさっき書いた要素をじわりじわり小出しにしていくのに対して重力ピエロはなんか急に突拍子も無い事件が起きたり、あまりにも整合性が整いすぎて、整形した美人が持つ違和感みたいに気持ちが悪かった。
個人的には押し付けがましい映画とか音楽とか小説まあなんでもいいんだけどめちゃ嫌いで、重力ピエロには押しつけ感があって、好みで言うとあまり好きじゃあなかった。
こういう時はお口直しにあのウルトラ客観描写の天才、ガスヴァンサントの映画が観たい。
最後になんとも関係ないいのだけど、グラントリノ観てて、男は死にまで男で孤独で、戦い続けるんだなあ、かっけえなあと思ったものです。
もうこの時点でちょっとめんどくさいでしょ?(笑)
先日映画を観てきました。グラントリノと重力ピエロ。チケットを買う際にそんな長くないのだけど列ができていて前に二人組の女の子が並んでいた。何観んのかなって。人の観る映画が気になって気になってしかたなくて、さり気なくちゃっかり予想して遊んでいた。
「余命一ヶ月の花嫁のチケット2枚下さい。」
ああやっぱり。見た感じそういうの好きそうだもの。
この発言はやばいな。すいません。
シクロフスキーっていうロシアの思想家がいて、もう死んでるけど、オストラネーニエつまり異化を唱えていた。芸術作品の手法はより難解にし、視覚困難にし、引き延ばし、、、、、つらつらつら。。つまり作品の形式を難解にして観客に批評性を持たせることが近代芸術の起源でもあった。はずなのに、最近は易化傾向にある作品ばかりが周りを覆い尽くしている。
時代は戻ったのかな?退化した?
例の命一ヶ月の花嫁
セカチュウや韓流恋愛映画の焼き直しで超紋切り型、パターン映画でしょう。人気男優・女優を起用してカップル、夫婦が苦労さえあれど幸せの絶頂に到達してそこから、事故や病気や失踪などの苦難を使って下に叩き落とす。そして最後にはなにかしらハッピーになって、ああよかったねえって。
破壊と再生。この破壊から再生に向かう過程に人間は非常に涙脆い。主に自分と重ねてみているからだろう。まあ本質的には作品と自分は全く関係ないのだけどね。最近小説にしてもこの手のパターンが非常に多い。いわゆるなんかブームなんだろう。なんでこの手の映画が繰り返し作られるかといったら、やっぱり金になるんだろうね。
人間が泣いてしまうようなパターン、そんなのあるの?あまりに馬鹿にされているようで信じたくないのでけど、これだけ興行収入は良いし、、、、本当にあるみたいです。事実この手の映画観て号泣したことあるし。困ったものです。
ある意味これをやっておけば、まあ頭の痛い子や大衆には受けるでしょう、という作り手側の手抜き感や悪意を感じるし、そこに批評性を持たせなかったらある意味国民全体をお馬鹿にして、芸術的な感性を略奪する装置にもなりえない。
資本の暴走はここにまで波及していると言わざる得ない。この手の映画が出る度、(JPOPにもやや通ずる点があるが)悲観的な見解を持ってしまうものです。
あの前にいた女の子達は被害者なのかもしれない。まあ僕もその汚染から逃れている保証は一切ないのだけどね(笑)
まだ読んでますか?有り難いものです。
今度は自分で高い金払って観て来たクリント・イーストウッドのグラントリノと伊坂幸太郎原作の重力ピエロについて。
たまたまなのだろうけど、テーマが被っていた。まじで。いや同じ時代を共有しているから現実感覚が近くなるのも当然なのだろう。たまたまではないか。
ずばりテーマは「疎外」 「孤独」 「暴力」 「セックス」 「死」「擬似家族」こんなところでした。映画観てるとポストモダンに凄くリアリティーが帯びてくる。
物語の質感というか重みをだすためにはこの要素を入れていくしか仕方がない。いかに同じ要素から世界を構築できるかが映画の善し悪しを決める一つの要因となる。
内容は書くのは面倒いので。まあ結果からいうとで同じテーマを取り上げているのだけれど100対1でグラントリノの大勝ちだったかな。両方ともよくありそうな映画なのだけど、イーストウッドのごくごく自然な形でさっき書いた要素をじわりじわり小出しにしていくのに対して重力ピエロはなんか急に突拍子も無い事件が起きたり、あまりにも整合性が整いすぎて、整形した美人が持つ違和感みたいに気持ちが悪かった。
個人的には押し付けがましい映画とか音楽とか小説まあなんでもいいんだけどめちゃ嫌いで、重力ピエロには押しつけ感があって、好みで言うとあまり好きじゃあなかった。
こういう時はお口直しにあのウルトラ客観描写の天才、ガスヴァンサントの映画が観たい。
最後になんとも関係ないいのだけど、グラントリノ観てて、男は死にまで男で孤独で、戦い続けるんだなあ、かっけえなあと思ったものです。
お知らせ
近々、ブログを整理します。
理由は雑多過ぎるから。二つブログがあるのですが1つはアート・芸術、もう傍らは学問にもう少し整合性を持たせたものにシフトします。乞うご期待を!
理由は雑多過ぎるから。二つブログがあるのですが1つはアート・芸術、もう傍らは学問にもう少し整合性を持たせたものにシフトします。乞うご期待を!
レイクサイド・マーダー・ケース
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親は子供に与えている清廉潔白で円満なように基本振る舞うものである。これが今では大部ぐらついている感も否めないけど一般的だとしよう。この一般性が成り立つのは親の不仲は一般手に子供に悪影響を与えかねない、そんなところだろう。ただ見落としがちなのは子供達も親には腹の底を見せずに無邪気に元気一杯青春を謳歌しているようにみせているのも紛れもない事実ではないだろうか?
前日までに普通だと思っていた我が子が次の日に、突如自殺してしまうような事件は珍しくない。最近良くメディアから流れている。この映画でもそう。塾の講師に徹底的に有名中学校に合格するため徹底的に規律訓練を受け、子供ならではの微笑ましいく不器用ではあるものの素直に見えているわけだが、子供達が一人の女性を殺害することになる。ただし3人子供が受験合宿に参加していたものの殺害された場所から塾から指定された子供達のズックの足跡が乱雑にあり、不特定(特定できるもののこの3人の両親がまさか自分の子供は殺していないという妄想にかられ特定せず証拠隠滅にかかる)である。
親と子供の関係は相互にフィクションで作りでっちあげられた虚構だといえる。最後に子供の輝かしい未来という虚構を主人公の柄本明は(元々はこの虚構性に疑問を持っていた)他の大人と同様作るという形で加担することになる。フィクションがさらにフィクションを重ね最後のシーンは印象的で清々しい新緑の空間を綺麗な女性が安らかに眠っている。が場面は一転して暗い湖畔の上辺に殺害した女性を映し出してこの映画の幕を閉じる。いくらフィクションで綺麗な世界を紡ぎあげたところで、その布地の視界から見えないところでは不可逆なリアルが絶対的に存在する。サスペンス映画として観ていたらまあま普通だと思うのだけれど、青山真治はそんな凡作なら撮るわけない。さすがだなと思った。




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